いつも小説を書いているイメージしかないであろうぽけイノマーですが、勿論普通の人間なので普通に暮らしています。

ごく普通の人間なので、悩みごともあるし、辛い事もあります。そういう経験が肥料になっていい小説が生まれるのですが、この迷い路では小説に出来る前に自分なりの問題への解釈を垂れ流していく場にしようかと思ってます。

答えのない問いであったり、すっきりしないような話ばなりになると思いますが、興味のある方は読んで見て下さい。

さて、タイトルを見て思った方は多いはず。何言ってるの?って
だってさ、成長ってポジティブな意味合いが多いじゃん?だから何だこれって思う人多いと思う。このタイトル付けててぽけイノマーもそう思ってますからね。あぁでも感じた事がこうだからこうなんですとしか。

色々と話していきましょうかね。
色々話す前にね、成長を辞書で調べてみました。

育って大きくなること。育って成熟すること。(広辞苑引用

大きくなる、成熟するとか。ゲームで言えばレベルが上がった、スキルが上がったって事ですよね。
子供の頃、自分より大きかったぬいぐるみをいつの間にか追い越して居た事。周りと比べて背の伸びが早い。大人になって、自分より頼れた親がいつの間にか自分より非力になって居た事。

そういう経験ってありませんか?
これを私は、自分の成長速度が相手よりも早い(成長期)、もしくは相手の成長が止まっている(停滞期)ないし衰えてきている(衰退期)と捉えます。
同時に自分の標となる存在が停滞期や衰退期だったら、当然成長期の自分はそれを超えますよね?

例えば、マラソンで言えば相手が止まっているか下がっていくのに、自分はどんどん前へ行く。いずれ追いついちゃうし、ものすごく遠くにいたはずの人が、自分の視界に入りますよね?

これって、言い方を悪くすれば、がっかりしちゃうんじゃないのかなって、思うんです。
高い目標であるから、目指したい、超えたい、近付きたいと思う訳で。それがもう少しで届きそうになった時、もしくは肩を並べた時、追い越した時って言うのはもう標にはなりませんよね。

ぽけイノマーは身近にね、尊敬している方が職場に何人か居るんです。
その一人の方は、今も尊敬しているし、何かあれば頼れる方なんですが、標では無くなってしまった。
これに気付いた時、私の心は大きく揺れたんですよ。
何故かって?それが目標となって仕事も出来たし、頑張ろうという意欲が沸いてきましたからね。

ただ、色々と吸収したのもありますし、前より少しだけ高いステージへと上がって、見える範囲が増えてきたわけです。その過程で、標とする程の魅力を失い、輝いていない相手を見ました。

勿論、それで信用出来なくなる訳でも無いし、何か態度が変わる事もないんですけどね。
ただ、原動力と求心力が無くなっただけです。

目標となる人達が走っているのを見て、自分も頑張るぞと奮い立ってバリバリとこなしてきたぽけイノマーですが、その原動力は失ってしまいました。
別にそれで恨むだなんだとか、失望するとかそういう頓珍漢な話じゃあないんですよ。
ただ、標は無いと動けないわけで。原動力がなきゃ、ガソリンが無きゃあエンジンが回らないのと一緒。

だから、丁度転換期。
今までの推進力の得る方法から新しい方向へ向かう時期なんだと思うんです。

言っちゃえば仕事って自分が金欲しいからする訳ですし、自分の為にする訳ですよね。

私はあれだけ色々書いていたり、色々関わったりしていてもまだ子供だったようで、周りの大人たちのお手伝いをしたい、褒められたいというのが仕事の主な原動力でした。結局は自分の為な訳ですが、間に他の人間のアクションが必要で、そのアクションを行って効果的なのは自分が目標とする人たちな訳です。結局は他人の介入が必要なエンジンですね。
まぁ、話が少し逸れましたが、今の職場は年齢が高い人が多いので、余計にそれで暫くはどうにかなっちゃった訳です。
ただ、自分の信念をもって、働き方をもって、自分で原動力を身に付ける。そう変えていかねば、今後の仕事は続かないなと。

自分はこうしたいという物をもっていれば、環境が変わろうと仕事は何かしらやってるでしょうし、多分満足すると思うんです。

ぽけイノマーは正確と性質上、内面的な部分や、それをより詳細に言語化した小説に重点を置く生き方をしているので、多分家族とか出来ないでしょうし、自分を核としたエネルギーを持たないと辛く厳しい世間では動けないと思うんです。

だから、私は、標を失って、苦しんでいますがこれは新たな目標を作る事だと思っています。
同時に、これから向かう先の道があやふやになった事で戸惑いも多いんですけどね。

だから、成長すれば標を失い、その先に描いていた道を失うという事。
やっとタイトル回収出来ましたね。やったぜ。

まだこの話がどう小説になるか分からないのですが、書いてみたいですよね。いずれは。

結局この話をして何の意味があったのかとか読んだ時間で何を得たのかとか、そういうもんを気にしないのが迷い路のスタンスかなと。

ただ話して、ただ聞く。それが五日のタイミングで、読んだ方の心に入って、この厳しく辛い世界を生きていく一助にでもなれたらいいんじゃないですかね。

冒頭でたらたらと喋るのではなく締まった書き方を狙ってみたので言い逃しましたが、このお話は哲学的な、そういう何かに近いんじゃあないかなと。

まぁ、こんなぽけイノマーのちょっと小難しい話ですが、読んでいただけたら幸いです。
ではまた、小説か迷い路でお会いしましょう